「あきらめないこと」と「悪あがきしないこと」、集中力、そして

いま自分に数億でも資産があったら明日にでもカーリング場を造り始めかねない。どうにも熱が冷めなくて、そんな気分。たぶん、広い日本には数億も数十億も遊んでるお金があって同じようにカーリング熱を患っている人もいるに違いない。きっとカーリング場は増えますよ。

でも、ここで自分の気持ちのなかだけでも整理しておかないと他のことに集中できないので、今回のにわかカーリング熱から学んだことを考え直してみた。いちばん印象に残ったのは、彼女たちがどんなピンチに陥っても気持ちを立て直し、最善手を探して、針の穴を通すような一投を決めたこと。

あきらめが悪くてあがくのとは違うのだ。悪あがきはしない、というのはスイス戦の投了でも見せたように、カーリングの精神にもとる行為なのだろう。でも逆転できる可能性が少しでもあるなら、迷いは振り捨ててその一投に望む。

そしてあの集中力。おそらく、果てしなく繰り返してきた練習から生まれたんだろう。ハックに足をつけてストーンを握った瞬間、気持ちのスイッチが入って、プレーにのみ集中できるよう訓練してきたのだ。

あきらめないこと、集中力、いずれも自分の力と仲間への信頼が支えているんだろうとも思う。小野寺は試合直後ののインタビューで「心を鬼にしていろいろ厳しくして、それでもみんなよくついてきてくれて」と涙ながらに語っている。あの五人で苦しい練習をともに積み重ねてきたことが伺えるコメントだ。その積み重ねがあったればこそ、信頼が確信となってゆるがない。ゆるがない気持ちが、あきらめない精神力と凄まじい集中力の芯になっていたのだ。

書いてみるとあたりまえのことばかり。でも、あたりまえのことに真剣になれた者の美しさを、僕は知った(ぎゃぽー、なに云ってんだか)。