手帳の話、続きその2

「ほぼ日手帳からモールスキンへ」の続きその2。前回の投稿でモールスキンについて書きましたが、今回は時間について。愚痴です(笑)

ルカちゃんさんのコメントから「日本人は休日すら合理的に休もうとする。ただ純粋に休もうとしない。というか、できない。もっと無駄な時間を過ごしてみる、心の余裕も必要だなと思います」について。
佐々木かをりという方が手帳術の本(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4887592884/)でおもしろいことを書いています。うろ覚えですが、休日も目標を立てて計画的に過ごさないから毎回「なんだか無駄に過ごしちゃったな」と後悔するのだと。ルカちゃんさんと逆のことを主張してるようですが、こうも云ってます。何もしたくない日は「きょうはダラダラ過ごすぞ」という目標を立てればいい。そうすれば、「きょうは計画通りダラダラした」という充実感を得られる。これは、いい悪いというより、国民性なのかなあ。国民性で括ってしまうのも乱暴な気はしますが。人は目的がないことに不安を覚えるようにできているのでしょう。

「時間に縛られたがちがちの日本社会を象徴しているなーと、僕がいるここ中国からは思ってしまいます」とも云ってますがこれは例えば鉄道ダイヤの正確さのことでしょうか。尼崎の脱線事故でもそんな方向の批判がありましたが、こういう国民性は、僕は好きです。ありがたいことの方が多い。僕としては時間に「縛られ」ているというより、「追われている」というのが実感です。しかしここに、積極的に縛ってやろうという考え方もあるわけです。

時間の「使い方」、あるいは時間を「作る」という云い方があります。本来は流れゆくばかりでコントロールできない時間という物を、ある目的のためにある時刻と時刻の間を用意することで、少しでも手中に収めようというわけです。僕はこれがとても下手で、時間が流れるがままに押し流されるように過ごすばかりであります。時計もスケジュール帳もきっとそんな人間のためにあるんでしょうに。こういう人間は休日の夜になると「ああ、無駄な一日を過ごしてしまった」としみじみ後悔するのです。

また、「心の余裕」とルカちゃんさんは云ってますが、それが持てるのは、佐々木さんみたいに時間の使い方、作り方がうまい人か、今が充実しててあまり未来に不安を感じていない人かどちらかでしょうね。あとはただの脳天気か。ルカちゃんさんは自覚してないかもしれませんが、おそらく毎日が自分のやりたいことに忙しくて充実してるからこそ、休日は何もしない無駄な時間を楽しめるんだと思いますよ。