「コミュニケーション」の「カラオケや草野球」にあたるものってなんだろう。

斎藤美奈子『文章読本さん江』を読んでいたら最後に、これからはコミニュケーションのための文章術を説くような文章読本が必要なのでは、という旨のことが書いてあって、そういえば山田ズーニーさんがやってるのはそういう仕事だなあなんて腑に落ちていたら、このところはてなダイアリー周辺で「コミュニケーションスキル」についての議論が活発になっている

あちこち読んだ中では、コミュニケーションに能力やスキルがあるのなら、当然その優劣もあるし、ない人だっているという視点が(http://d.hatena.ne.jp/hazama-hazama/20050818#p2)が新鮮だった。

それが能力だとするなら、音楽やスポーツだって能力が劣っていても劣っているなりに楽しむことはできるんだから、いきなりコミュニケーションをあきらめて「オナニーして死ぬ」ことはないのではと初めは思ったんだけど、しかし音楽やスポーツは下手でも許される状況(カラオケとか草野球)があるから音痴、運痴にも楽しめるけど、「コミュニケーション」の場合はどうなんだろう。これは周囲の理解が必要だろうなあ。

「コミュニケーション」のカラオケや草野球にあたるものって何かあるかな。