書道教室で書いた作品を学校に持ち込むことについて

「芸術の秋ではあるが・・・」(吾日三省我身)
http://blog.livedoor.jp/hggfp735/archives/50189471.html
にコメントしようかと思って書いてたら長くなったのでこちらで記事にしてトラックバックします。そんなにまでして子供に賞を奪らせたいのか、という話です。

椎名誠私小説岳物語』に出てくる、少年サッカーチームへの大人の関わり方の話を思い出しました。記憶がいい加減なので『続・岳物語』かもしれません。

彼の息子(岳)が入っているチームはあまり強くないのですが、監督は「少年サッカーだから勝つということを目的にしていません。元気よく頑張ればいいんです」と顔をくしゃくしゃにして言う人で椎名誠は大いに好感を持っています。

彼の息子のチームと強豪チームの試合を見学したときのことです。息子チームには父親らしき人が二、三人見に来ているだけですが、相手チームには親がたくさん応援に来ていました。結果は相手チームの勝利だったのですが、内容が良くなかったのか監督がガンガンに怒り、親たちも熱心にそれを聞いてウンウンと頷いている。

なんだか嫌だなあ、と椎名誠は感じた、というような話でした。実際どうだったのかわかりませんが、さすがは作家なので「教育熱心な親」のイヤらしさをうまく描いていたと記憶しています(あくまでも椎名誠の目から見た事実なのでイヤらしい面が強調されてますし、余談ですが子供のチームの運営に親が積極的に関わることは地域作りという観点からも良いことです)。

僕も子供の「教育」では「勝つこと」よりは「頑張ること」に軸足を置いてほしいと思います。競技をすれば勝ち負けは避けられませんが、それはそれとしてやっぱり「頑張ること」をまずは大切にしてほしい。書道だって賞を取ることより、筆で字を書く楽しさを知ることが重要なんだろうにと思います。

ここからは余談。これはきれいごとでしょうが、きれいごと結構。子供にはきれいごとを教えてほしい。汚いことや世の中の不条理なんか誰も教えなくたって嫌でもいずれ学ぶことになるんですから。小学生8人を殺した宅間守が法廷で言いました。「自分みたいにアホで将来に何の展望もない人間に、家が安定した裕福な子供でもわずか5分、10分で殺される不条理さを世の中に分からせたかった」と。きれいごとを「所詮きれいごと」と片付け、「きれいごと」を教えることをためらうのは宅間に負けたのと同じです。

だからどうした。不条理だから何だというのだ。あんたが拗ねて卑屈になって開き直って得意げに語っていることは、ただの「常識」だ。人生が時に不条理だなんて誰でも知ってるの。でも、あんたと違ってその不条理を胸に収めて前に進んでいるの。まったく、なんでこんなくだらない理由で子供たちは死ななければならなかったのか。

不条理は解決できるものじゃありません。ゆえに不条理と呼ばれるのですから。でも、そこで宅間みたいに拗ねて卑屈になってしまわずに、不条理は不条理として受け入れ、前に進むために必要なものは「きれいごと」の中にあるのだろうと思っています。だから先生たちには自信を持って「きれいごと」を教えてもらいたい。