一瞬の風になれ 第一部、第二部、第三部

一瞬の風になれ 第一部 -イチニツイテ- 一瞬の風になれ 第二部 -ヨウイ- 一瞬の風になれ 第三部 -ドン-
佐藤多佳子講談社

本の感想はいつもはmixiに書くのだけど、今回は長文になって読みにくいので、特別扱いでこちらにアップする。

作者が言葉や小説作りのセンスのいい人だってのはよく知ってたつもりだけど、今回は本当に恐れ入った。
語り手はちょっとチャラっとした高校生だ。基本的に大好きな兄ちゃんのことと友達のことと女の子のことと、速く走ることしか頭にない、おそらくあんまり勉強もできない男だから(ら抜き言葉も使っちゃうし)、いまどきの男子高生のリアリティを確保できる反面、語彙は多くないし、凝った言い回しなんかするわけないから、長大な物語を構成するにはかなり体力つまり筆力が必要なはずだ。
でもやっちゃうんだなあ、この作者は。話の組み立てや運び方がうまいのはもちろん、足の痛みも、レース前の緊張感も、恋の切なさも、泣けるような友情も、風になるように走る爽快感もみんなみんな、びんびんに伝わってくる。しかも、巻が進むごとに主人公がスプリンターとしてばかりでなく、人間として着実に成長していることが、しっかり描かれている。これはとても高度な技術だよ。
それがよくわかるのは、こんな一文。

今年は、県に行けるヤツが多いと思うな。みんな、頑張れ!
(第三部、108ページ)

未読の人にここだけ読んでもらっても、なんなの? 誰でも言いそうなことじゃん、という文章だろうけど、こういう何気ない言葉がすごく響くのだ、この作者の小説は。かっこいいこと云って感動させるのは当たり前。「みんな、頑張れ!」なんてごくごく普通の言葉で、読者にも「そうだ、頑張れ!」と思わせてしまうのがすごい。
作者が言葉を選び抜いて書いていることがもっとわかりやすく現れているのはこんなシーン。

 金曜日の夜に谷口からメールが来た。
「まず、100mだね。神谷くんが走るのを見るのが、ほんとにほんとに楽しみだよ! 力が全部出し切れますように。お祈りしてます」
 谷口からのメールというのは、死ぬほどうれしくて、でも、どこか空虚な感じがする。あの小さな優しい声が聞きたいし、どこか恥ずかしげできっぱりしたあの目が見たいし、彼女の息づかいや体温を間近に感じたい。谷口に会いたい、今すぐ会いたい……。お祈りなんかいらない。それより聞きたい、頼みたい、決勝で、仙波じゃなくて俺を、俺のほうを心の底から応援してくれる? と。強烈に言いたいけど、言えるわけなくて、
「いい走りを見せられるようにがんばるよ」
と空虚な返信をした。
「走るのが楽しい。俺も楽しみ」
思いついて、もう一度送った。
軽いけど、あとのメールのほうがいい言葉だ。
(第三部、150-151ページ)

谷口というのは、主人公が片思いしているんだけど、告白したい思いをいろいろな理由で抑えている女の子。「死ぬほどうれしくて」なんて文章を書き慣れた人ならまず避けてしまうベタな表現の後に「空虚な感じがする」と、この語り手らしくない言い回しを使って、喜びと不安という二つの心情にくっきりコントラストをつけているのもうまいけど、そのあと、「と空虚な返信をした」の部分に注目。これを僕が普通に書いたら、

「いい走りを見せられるようにがんばるよ」
と空虚な返信をした。しかし、送ってから考え直して、
「走るのが楽しい。俺も楽しみ」
ともう一度送った。

とかやっちゃう。説明的で、動感がないよね。「と空虚な返信をした」のあとただちに「走るのが楽しい」と来るから、「あ、違う違う、こっちなんだよ」という葛藤が見えてくる。まさに行間を読ませている。そして、主人公が送った二つのメールの違い。一つめは主人公が自分で書いているように、「空虚」な気分に引きずられた思いのこもっていない文章だけど、送り直した方は谷口の「楽しみだよ」という気持ちに寄り添っていて温かみがある。大切な人へのメールの文面を一生懸命考えて書いたことのある人なら、わかるんじゃないかなあ。

わかりやすいところを、もう一つ。

握り飯をうはうはと平らげたあとは、プロテインをゲロゲロ言いながら飲む。なんとか逃げ出すとする連を誰かが捕まえておく。練習の終わりのこのひとときが最高になごむ。疲れが飛んでしまうくらい。
 そして、みんながチャリでさっさと帰る中、俺は突っ張りウォークでパンパンと帰宅する。笑われながら。

「うはうは」「ゲロゲロ」とオノマトペを繰り返し、「飲む」「おく」「なごむ」とリズムよく続けた文章を「疲れが飛んでしまうくらい」と一度まとめておいて、場面が変わってももう一回「パンパン」「する」の二つで前のシーンと同じリズムを使って一連の楽しい雰囲気の流れを表現し、「ながら」と余韻を残して締めくくっている。

引用しているときりがない。
第三部の帯に「この決勝走れて、どんなに嬉しいか、言葉じゃ言えねえよ」という文章を引用してあるが、こうやって読んでいると、この小説全体が、言葉では表現できないものを言葉で追いかけているのだなあ、という気がする。

積ん読にしてあったのを8時間くらい掛けて一気に読んだので、それこそ長距離走の後みたいにぐったりしつつも興奮してこれを書いている。なので読み返す気力もなく、ちゃんと言いたいことを言えているのかよくわからない。「読み終えるのが惜しい」とは本を褒めるときによく使う表現だけど、僕も素直にそう思えた小説だった。