山梨県立美術館と群馬県立近代美術館

先日、バルビゾン派という一派の画家の作品をいくつか見る機会があってなんだか楽しかったので、そのあたりのコレクションで有名な山梨県立美術館に行ってきた。ついでに(ついでにって距離でもないが)、前日、『磯崎新の「都庁」―戦後日本最大のコンペ』(平松剛/文藝春秋)を読んだので、磯崎さんの建てたものも見ようと群馬県立近代美術館まで足を伸ばしてきた。

山梨県立美術館


ぼくの知識では、バルビゾン派とは、19世紀なかごろにフランスのバルビゾン村に住んで自然や農村の風景を描いていた人たちのこと。「種蒔く人」のミレーが有名。産業革命の影響なのかなんなのか都市部の環境が悪くて、田舎に来たらしい。で、それまでの絵画というと聖書の一場面とか貴族の肖像画とかを描くものだったのだが、バルビゾン派の画家たちは、なんでもない田舎の風景や農作業の様子をそのまま作品化した、とこういうことのようだ。この流れの先に印象派がある。

なんでか、この日に並んでいたのは、ぱっと見、暗い絵が多いような印象。雰囲気が暗いということではなく、写真で言えば露出がすごくアンダーというやつ。そこに仄かに光が差し込んでいたり、弱い夕日が当たっていたり。テオドール・ルソーの「フォンテーヌブローの森のはずれ」(このPDFファイルの絵)が特にお気に入りになった。遠くから一見すると曇の多い空を背景に葉の茂った木が何本も立ってるだけのことなんだけど、もう少しよく見ると、おそらく雲の間から漏れた日光が木々の間に差し込んでいる。そうか、この光が描きたかったのかあ、と思って近づくと、人や牛が小さく描かれていることに気がついてちょっとびっくりするという寸法。どうもぼくなんかは写真を撮るときに、被写体がよくわかるように明るく撮らなきゃとかそういうときに手ぶれ補正は便利だとか思いがちなんだけど、その風景に感動したんなら、暗いものは暗いまま撮ればいい、そして光をもっとよく探してもっと大切に撮れ、と言われているような気がしたのでありました。あと、ポーリーヌがやたらかわいい。

企画展のほうで、やなせたかしの原画をたくさん見ることができた。アンパンマンなあ、とたいして関心もなくついでに見たんだけど、やっぱり原画はきれいだ。

それから、ここでは文房具ネタをひとつ。廃プラスチックを使ったインスタレーションを造る丸山純子さんの作品とともに、制作メモが何枚も展示されているんだけど、見たことのある紙だなと思ったら、molesikneのダイアリーを切り外したものだった。

群馬県立近代美術館


適当に撮ってもかっこいい、中の廊下一本もかっこいい建物。

現代美術の制作過程を種明かしする企画展示「こどもとおとなの美術入門 たねとしかけ」というのをやっていたが、これはもう、ただただ単純に楽しかった。。

大竹敦人さんの「球体カメラ」は、ガラスの球に穴を開けてピンホールカメラとし、その内側に乳剤を塗って、ガラスに風景を写し撮ってしまった作品。アイデアのおもしろさに思わず笑ってしまう。さらに、美術館の一部屋をどでかいピンホールカメラに改造して、外の風景を壁に映し出す展示まである。津田亜紀子さんの布を素材にした人物彫刻は、ブロンズよりなぜか生々しくて、足下にしゃがみこんでいる少女を見たら、ちょっとぎょっとした。