これからパソコンは本当におもしろくなる

ASAHIパソコン』最終号を読んだ。
http://opendoors.asahi.com/ap/index.shtml
パソコンにニュース性がなくなったってことなんだろうなあ。
素人が肌で感じている程度のことだけど、『ウェブ進化論』を読んでいても、その感覚が裏付けされたように思った。
パソコンの新製品に興味がなくなってからどれくらいたつだろう。ワクワクしなくなってからずいぶんになる気がする。
いまワクワクするのはFirefoxの便利な拡張機能を見つけたときや、はてなの新機能がリリースされたときだったりする。
Firefoxが動きさえすればマシンはなんでもいい。いや、OSすらなんでもいい。
ASAHIパソコン』最終号の特集「ASAHIパソコン年代記」の中にオラクルの500ドルネットワークコンピュータのことが少しだけ出てくる。
個人データもアプリケーションもサーバに置いて、ブラウザから動かしてしまえばマシンは安いものでいい、というコンセプトだ。
記事には「だまされた。若かった……」なんてコメントがついているけど、これに近いことは起きているんじゃないか。
さすがにサーバ上で何でもやるってわけにはいかないけど、OSを選ばないFirefox拡張機能にはまだまだ貧弱とはいえテキストエディタもイメージビューアーもFTPツールもある。あ、そういえばWritely(http://www.writely.com/)っていうブラウザで動くワープロもあるじゃん。
よく読んでいたら「アサヒパソコンからの遺言」という特集に

「パソコンの普及と発達によって、パソコン誌の必要性がなくなってきた」という皮肉な言い方ができるだろう。アサヒパソコンは「パソコン」という誌名に負けたのかもしれない。

と書いてある。
テレビ番組の専門誌はあっても、テレビ本体の専門誌はないようなものか。
しかし、ここまで書いてきてなんだが、これからがパソコンの本当におもしろくなる時代だとも思うのだ。
没個性が行き着くところまで行って機能に違いがなくなれば、逆にそこがベースとなって個性が花開き出すのでは、と期待する。
さっき、マシンなんかなんでもいい、OSなんかなんでもいいと書いたが、道具としての使い心地ということを考えれば、まだまだ開拓の余地があるはずだ。
同誌ではデスクトップマシンの拡張性に未来を見ている。その方向もあるだろうけど、既製品メーカーも大ヒットを期待するのではなく、その個性を必要としている人に確実に訴求するようなマシン作りや宣伝が必要になってくるんだろうなあ。
そのとき、パソコンは文房具として個人の手の中に落ちてくる。