『ちりとてちん』補記

年を越さないうちに、ちょっと思いついたことをメモしておく。

キャッチコピーから、考える。適職ってなんだろうか

「自信なし。特技なし。将来の夢なんてわかんない。悩めるへたれな女の子、落語家をめざす!」というキャッチコピーがいいやね。
「やりたいこと探し」「自分探し」に悩んでいるいまの若者たちの胸を射抜いた、のであったらいいなと思う。
じゃあ喜代美はどうやって自分の道を見つけたかというと、ドラマでは「運命」というセリフも出てきたけど、ようするに、「縁」に導かれてということではないかなあ。「これも何かの縁と思って」ってやつ。もっと平たく言えば「たまたま」。
喜代美の場合は、闇雲でもいいからとにかく動いてみたら、偶然にも落語に再会したということだった。お爺ちゃんが落語を好きだったのもたまたまだし、大阪で草若に出会ったのもたまたま。「たまたま」に意味を見出したくなるのが人間のどうしようもない性分で、それを運命とか縁とか言う。
だから、「やりたいことを探さなきゃ」と必死にならずに、たまたまの人生の中で出会ったものを大切にしながら過ごしていけば、案外といい仕事が見つかったりするんじゃないかなあ。
さらに言えば、「自分に向いている」とか「適職」とかってこともあまり突きつめて考えない方がいいとも、最近思う。
そりゃあ、スポーツ選手とかモデルとか極端な才能がないと一流にはなれない職業もあるけれど、だいたいのところは、その人なりの仕事のやり方があるだけで、適性なんてものは、本当はないんじゃないか。口下手だから営業はできないけど経理ならできる、というものではなくて、ちゃんと仕事をしようと思えば経理係にだってコミュニケーション能力は必要だし、口下手なりの営業の仕方だってあると思う。

最後に喜代美の選んだ道について(注意! 以下、結末についての考察なので、ネタバレしています)

最後に喜代美は落語家を辞めて「お母ちゃん」になることを選ぶ。最終週は駆け足気味で、視聴者の腑に落ちるようなストーリーを展開できていなかった嫌いがあって、ネット上でも「時代錯誤だ」という感想が見られた。僕も最初は、うーん、という感じで素直には受けとめられなかった。でも、このドラマがこれまでもずっとそうだったように、実は複線となる出来事や台詞を拾うことができる。
別に女性の社会進出を否定するような時代錯誤な考え方のドラマでないことは、周囲の男性が落語家引退を反対したことや、清美が企業の社長になっていることからもわかる。
「お母ちゃんみたいになりたくないの!」と母の人生を否定して故郷を飛び出した喜代美が、「それがどんだけ素敵なことかわかったんや。どんだけ豊かな人生かわかったんや」という心境にいたった経緯はドラマに描かれたとおり。
ここで違和感を覚える人がいるのは、「いや、落語家やりながらお母ちゃんもやればいいんじゃないの?」とも考えられるからだろう。喜代美のそんな妄想もしてたし。
それでも、「お母ちゃん」一本に絞った理由は、「創作落語では師匠の落語を受け継いでいけないのでは」と考えていたことと、不器用だから、ではないか。
創作落語をしていても伝統を継承できないかどうかは、まあ、考え方しだいかなと思う。女性だから普通に古典落語を演じるのは難しいのは確かだけど、立川談笑さんみたいに現代を舞台に大胆なアレンジをしてる人もいるし、女性からの視点で語り直している女流もいる。「師匠の落語そのまま」は無理といえば無理だけど。
ところが、「不器用」は喜代美のアイデンティティーみたいなもんで、

喜代美「そんなこと言われたかて、気がきかへん、まわりが見えてへんというところが私を私たらしめているわけでありまして……(中略)……こないしてゴミしか見てへんで、自分の立ち位置を見失うんですなあ」(第50回)

と自分で言ってるし、師匠にも

草若「あの子は、いっぺんにあれやこれもできる器用な子やあれへんがな、な?」(第92回)

と言われてるし。
落語家もお母ちゃんも、は無理だと判断したんじゃないかなあ。まあ、なにも高座でいきなり引退表明しなくてもいいとは思うけど。やっぱり、あと一週、時間がほしかったなあ。……と考えたのですが、無理筋でしょうか?

ちりとてちん 完全版 DVD-BOX I 苦あれば落語あり(4枚組) ちりとてちん 完全版 DVD-BOX II 割れ鍋にドジ蓋 ちりとてちん 完全版 DVD-BOX III 落語の魂 百まで